長期投資家としてのアイデンティティ

喜多 幸之助、コンサルティング部長

市場予測の難しさ

年金基金は紛れもなく長期投資家である。かといって短期的な市場の暴落を静かに見過ごせるわけでもない。

新型コロナウイルスに原油ショックが重なり、2020年2月の終わりから3月中盤にかけて、株式市場は乱高下を繰り返しながらの急落に見舞われている。しかも、年金基金にとってタイミングの悪いことに、財政決算期末直前である。毎日の荒波のような株価を見て生きた心地がしない関係者の方も多いに違いない。ウイルスの拡散自身の影響もさることながら、拡散防止策のための日常活動への制約が経済に与える影響も小さくなさそうである。実体経済に緊急ブレーキを強いる点で、ITバブル崩壊や金融危機といった過去の例とはパターンが異なる。全ての影響を織り込んで、株価が適正価格に落ち着くまでには、しばし時間を要するように思える。

こういった事態は、ほんの1か月前まではほとんど予想されていなかった。今年の主要テーマは米国大統領選で、それまでは多少の市場変動が起きても金融政策で抑え込めるだろうという見込みが主流で、どちらかといえば、年間を通じて変動性が高まると言っていた1年前より楽観的な予想が多数派だった。それが全くの様変わりである。

弊社では、①景気サイクル、②市場のバリュエーション、③投資家のセンチメントの3要素を組合わせて市場予測を行っている。この考え方自身はそれほど特殊ではないと思うが、新型コロナウイルスや原油を巡るサウジアラビアとロシアの対立激化といった突発的事項を事前に織り込むのは難しい。だが、ここで言いたいのは、市場予測の否定ではない。メインシナリオとは別に、常にリスクシナリオ発現の可能性を考えておくべきで、メインシナリオが将来をポジティブに見ているからといって大きくベットするべきでないということである。長期投資家にとって、予測が外れた場合に短期的にポジションを動かすのは難しいし、できても限度がある。預かる資産は巨額だし、投資行動に対する説明責任が求められるためである。

年金基金が採ってきた戦略と年金ガバナンス

筆者が知る限り、大多数の企業年金は、昨今の株式市場のバリュエーションの高さを懸念し、多少なりとも運用に保守的施策を取り入れてきた。11年前の金融危機以降、持続可能性を意識した運用が模索されてきたとも言える。すなわち、母体企業への財務インパクトを考慮し、幅広い資産へと分散を効かせ、債務規模に合わせたリスクテイクへの配慮がよりなされるようになった。むしろ、薬が効きすぎて保守的に過ぎ、機会損失を被ったと言えるケースもあったかもしれない。それでも幸運にも長期間の市場ラリーに支えられ、剰余状態にある企業年金が多く、剰余を別管理して安定運用したり、負債に対して大きくなっている資産全体の目標収益率を下げたり、ダウンサイドプロテクション戦略を導入したり、といった様々な手法をもって株価の下振れリスクへ備えてきた。

2019年度の運用実績は、昨年中までは良好な結果であったが、ここにきて急激に悪化している。しかし、株価の短期的変動は、元来予測精度の低い対象であり、投資家にとっては所与のものと考えるしかない。基本資産配分×市場ベンチマーク、いわゆる複合ベンチマークについては、年金制度を長期間にわたって維持するために必要なリスクテイクであり、これがもたらす変動は人知でコントロール出来ない。運用担当者がコントロールできるのは、複合ベンチマークリターンの大幅下落を緩和すべく、持続可能性を意識し導入してきた様々な追加的施策の部分のみである。

来月の関係者向けの年度運用報告では、通常の報告フォーマットに加え、基本資産配分通りに運用した場合に比較し、保守的施策導入後の実際の運用リターンがどのような実績であったかを、リスク情報を含めて報告するなど一工夫加えることで、その効果を改めて確認することをお勧めしたい。

リバランスはすべきか

ところで、市場があまりにも急激に下落したため、株式の割合が許容乖離幅の下限を割っているケースもあるかもしれない。市場が激しい勢いで急落する中、リバランスとして盲目的に買っていいのかは実際悩ましい。実は、市場下落時のリバランス問題は、11年前の金融危機後にも幅広く議論された。あまりの急落の激しさに、行き当たりばったりでリバランスを取り止めたり、株式投資自身を諦めてしまった例もあった。言うまでもなく、その後の相場の戻りによる機会利益を放棄したことになる。リバランスについては、特に忘れられがちな教訓として、改めて記しておきたい。

なお、リバランスについては、合意した資産配分(=リスク水準)の維持を主目的として実施していることが一般的で、積極的に追加リターンを得る目的での実施は少ないと認識している。以下は、前者を前提としつつも、一部市場予測を入れる余地も含めた考え方である。

  1. 基本的には、定められたルール通りにリバランスを行うべきである
  2. ただし、確固たる規律の下で一部市場予測を織り込むことも考えられる
  3. 万が一、株価急落が母体企業の経営リスクを直撃し、母体として年金において運用リスクをとれなくなっていると判断される場合は、取れるリスクを再確認の上、実施するか判断すべきである

通常リバランスルールにおいては、時価の確認タイミング(日次・週次・月次・四半期次)や時価の把握から執行までのタイムラグ間の市場の動きをどのように把握するか、どこまで戻すか(中心値か上下限か)等が定められている。基本的には、①の通りルールに忠実に執行するのが望ましいと考えられる。

一方、②のようにリバランスプロセスに市場予測を織り込むことも考えられる。この場合、予測を如何に投資判断に反映させるかのプロセス構築や、一度にとるベット幅の限定など、確固たる規律の下で行うことが必要と考える。また、用いる予測については、信頼できる複数の第三者機関から情報収集し、総合的に判断するのが適切といえる。各予測機関の拠点網や情報ソース、バイアスの違いを認識した上で使い分けるのが望ましい。しかし、どれだけ情報を集めても、最後の判断は投資家自身で下さなければならず、決して簡単ではないことも申し添えておく。

そして、これは金融危機時に得た大きな教訓であるが、当時スポンサーである多くの母体企業の屋台骨が揺らぐほどのインパクトがあり、そういった場合に運用リスクをとるのが難しくなるケースもあった。③のような配慮が必要になる場合もあることを認識すべきである。今回、多くの企業経営に影響が出るほどのインパクトなのかは未だ読みづらいが、通常は機械的に行うリバランスでも、事前に母体企業とコミュニケーションをとっておくことも一つの選択肢かもしれない。

長期投資家としてのアイデンティティ

「短期的な相場動向に左右されず」と口で言うのは簡単だが、実際の市場の乱高下が起き、将来の見通しも立たないとなると、年金運用従事者として精神的に穏やかでいるのは難しいかもしれない。加えて、関係者への納得できる説明が求められる。その際に改めて認識すべきなのは、長期投資家であるという年金基金のアイデンティティである。

長期投資家は、市場変動の高まりも想定した上で計画的に投資に取り組んでいる。政策資産配分は、年金ALMを通じ、発生し得るリスクを確率論的に検証した上で、母体企業の同意を得て定められている。市場変動が如何に大きくても、それが想定の範囲内である限り、長期計画の一部と受け止めるべきである。合意されたプロセスに従って運営・投資判断し、明確かつ平易に説明する。すなわち、事前にリスクを想定した上でしっかりと準備し、後は粛々とやるべきことを執行していくのが長期投資家なのである。

Site preferences