米国の債務上限問題を巡る今後の4つのシナリオ

以下は、2022年5月19日にラッセル・インベストメント(米国)のHPに掲載された英文記事を翻訳したものです。原文は こちら。内容は作成時点のもので今後市場や経済の状況に応じて変わる可能性があります。また、当見解は将来の結果を保証するものではありません。

概要:

  • ワシントンD.C.の議員間での債務上限引き上げ交渉は、より望ましい方向に向かうかもしれない。
  • しかし6月1日の期限までに合意に至らなければ、市場は大きな売り圧力を受ける可能性が高く、政治家は早急に解決策を模索することを余儀なくされる。
  • 債務上限引き上げ交渉がもたらす混乱は短期間で収束する可能性も高く、その場合には資産価格の歪みに基づく魅力的な投資機会を生み出す可能性がある。

債務上限シナリオ

筆者の経験として、政治の予想が実りあるものであった記憶はさほどありません。政治は主に市場にとってのノイズとなる傾向があります。しかし、今回ワシントンD.C.における債務上限引き上げ交渉は、既に市場のボラティリティを増大させており、実害を与える可能性があり、無視するのも難しい状況です。当レポートでは、過去1週間(5月15日~5月19日)の新たな進展を中心にまとめ、最良のケース(迅速な交渉成立)から最悪のケース(長期に亘る行き詰まり)まで、起こり得るシナリオを展望していきます。

新展開

イエレン米財務長官は、財務省が6月初旬に資金を使い果たす可能性が高いことを再確認しました。債務上限を引き上げる合意はまだなく、また残された時間も少なくなっています。しかし、政治家が合意に向けて現在積極的に交渉を継続しているという事実は良いニュースです。先週央のバイデン大統領とマッカーシー下院議長からの公式声明は楽観的なもので、早ければ数日で合意に達し、来週投票に持ち込まれる可能性があることを示していました。しかし金曜日の朝(5月19日)、共和党はホワイトハウスの要求を「不合理」と引用し、事態の混迷を示しました。Yogi Berra※がかつて言ったように、「(ゲームは)終わるまで終わらない」のです。債務上限引き上げの法案が下院を通過したことが確認されて初めて良く眠れることになるのでしょう。

※(訳者注) 米メジャーリーグで活躍した捕手、監督(1925年5月12日~2015年9月22日)。独特の発言は「ヨギイズム」と呼ばれた。

シナリオ

合意(Deal) 両当事者が債務限度額の引き上げに迅速に合意できれば、2023年は、程度の違いはあれども、債務上限の恐怖に苛まれた2021年、2013年、2011年、1995年に続く新たな年と記憶されることになるでしょう。金融市場は、水曜日(5月17日)と木曜日(5月18日)の取引時間中にS&P500指数が示した1%の上昇と同様に、緩やかな上昇を辿っていく可能性があります。6月初めに満期を迎える財務省短期証券の利回りは、週初め(5月15日)には翌日物指数連動スワップを0.5%以上上回って取引されていましたが、テクニカル・デフォルトリスクがイールドカーブから取り除かれることで低下する可能性が高いと考えられます。長期国債利回りは、投資家の信頼感の改善に同調して上昇するかもしれませんが、債券の持続的な動きを予見するためには、交渉の詳細を注意深く吟味する必要があります。もし合意に際して、相応に財政制約的内容(複数年に亘る裁量的支出の上限設定等)が含まれていれば、それらの政策は経済成長とインフレを抑制し、債券には強気材料になると考えられます。

現時点では、超党派的な合意がなされ、債務上限問題は(次の米国大統領選挙後の)2025年までは深刻な問題にならないことが基本的なシナリオとして市場では予想されています。

延期(Punt) 6月1日が僅か先であることを考えると、誠意を持って交渉している政治家をしても、財務省が資金を使い果たす前に法案を起草して署名するのに十分な時間がない可能性があります。そのような場合には、議会は債務上限問題を一定期間、おそらく7月下旬から8月上旬まで延期することを選択することも可能と考えられます。市場の方向性は、認識される進展の有無に依存します。6月初旬に満期を迎える財務省短期証券の利回りは、上述の「合意」シナリオと同様に低下することが予想されます。しかし、デフォルトと非流動性のリスクがイールドカーブから取り除かれるにしても、それは単に最終期限がごく短期間先送りされたに過ぎず、同じ迷走劇が繰り返されることに変わりありません。

一時的な行き詰まり(A brief impasse) 様々な理由で交渉が決裂する可能性があります。議会とホワイトハウスが債務上限パッケージの条件に原則的に合意することも考えられます。トランプ前大統領は、パッケージが歳出削減に十分ではないとし、下院の共和党員に法案に反対票を投じるよう呼びかける可能性があります。時間の制約を考えると、投票の失敗(誤り)も問題を生み出す可能性があります。原因が何であれ、可能性は低いものの、そうした事態は金融市場にとって深刻な事態をもたらすこととなるでしょう。

市場は不確実性を好まず、当該シナリオでは売り圧力を受ける可能性が非常に高いと考えられます。潜在的な損害については、次のセクションで詳述します。しかしここで強調しておきたいのは、なぜ一時的な行き詰まりの場合に、戦術的な投資家が資産価格の歪みを利する好機をもたらす可能性があるのかという点です。

市場は強制的なメカニズムです。2008年の秋に戻りましょう。筆者はワシントンD.C.の連邦準備制度理事会(FRB)の若手スタッフでした。重要なことに、問題資産救済プログラム(Troubled Asset Relief Program (TARP))のための7,000億ドルを含む2008年の緊急経済安定化法は、同年9月29日に下院で審議されましたが、投票は否決されました。そしてこの結果を受けてS&P500指数は8.8%急落しました。同年10月3日(同週の金曜日)に当該法案は上下院を通過し、ジョージ・ブッシュ大統領が署名して漸く成立しました。教訓は何か? 市場は政治家の誤ちを罰する、ということです。米国では 2008 年に、また英国では 2022 年に同様のことが起こりました。現時点におけるラッセル・インベストメントのベースシナリオは、ボラティリティの高まりは短期間に留まるとの見方です。

長引く行き詰まり(Prolonged impasse) 行き詰まりが長引けば、3つの主要経路を通じて米国経済や金融市場に深刻なダメージを与える可能性が高いと考えられます。

  • 政府支出の遅れ 議会予算局は、財務省が9月30日の今会計年度末までに約4,500億ドルの不足に直面していると推定しています。これらの支払いを遅らせることは、GDP(国内総生産)の1.7%を失うことに相当します。しかしこれは、景気後退がもたらす直接的な影響であり、間接的な影響を含めるとそれよりもはるかに大きな悪影響がもたらされる可能性があります。
  • 金融市場は大きく売り込まれる可能性が高い  当該シナリオに正確な数字を出すことはほぼ不可能ですが、株式市場は非常に急激な下落とクレジットスプレッドの急拡大が顕現する可能性があります。例えば、FRBは、2013年の債務上限の膠着状態に対する緊急時対応計画(コンティンジェンシー・プラン)において、1ヵ月間の債務上限の行き詰まりにより、米国のBBBクレジットスプレッドが1.5%拡大すると推定しました。これらのすべてが、家計や企業がクレジットにアクセスすることを困難にし、急激な信用収縮に繋がる可能性が高いと見られます。米ドルは他の安全通貨に対して弱含むこととなり、また、米国経済が世界の金融システムにおいて依然として支配的な役割を果たしていることを考えると、市場への影響は世界的に大規模なものとなる可能性が高いと考えられます。
  • 消費者と企業の信頼感は消失する可能性 ワシントンDCが行動を起こすまで、主要な商品購入の意思決定と設備投資の実施が見送られる可能性が高いと考えられます。

行き詰まりのシナリオでは、FRBや米財務省などの政府機関は出血を遅らせようと努力します。そしてこうした政府機関の具体的な対応は、市場、特にソブリン債市場にとって重要です。2011年と2013年のFRBと米財務省の間のスタッフレベルの議論は、財務省が債務上限交渉が行き詰まった場合に、米国債の元本と利息支払いの優先を計画していたことを示唆しています。今回もこのような対応がなされる場合には、債券保有者に対する影響は限定され、安心材料となるでしょう。これは明らかに債券投資家にとって非常に重要なポイントです。

サマリー

債務上限問題の最終的な帰趨に先立ち、ラッセル・インベストメントでは現時点ではポートフォリオ戦略に大きな変更を加えていません。私たちはお客様のポートフォリオのトータルリスクと流動性プロファイルを慎重に管理することを念頭に置いて、銘柄選択に重点を置いています。ワシントンD.C.における交渉の状況はより望ましい方向に向かうかもしれません。しかしそれが変化し、今後数週間をかけて市場のボラティリティが増大する局面においては、魅力的な投資機会の出現に目を光らせることになると考えています。