アセットオーナー 過去40年の進歩(4/4)

はじめに

掲げられた目標達成のために運用機関が提供する技術を緻密に組み上げていくのがアセットオーナーの仕事である。最終投資家として、ベータとアルファを合わせた全てのリスクを引き受けるのは並大抵の覚悟では務まらない。様々な局面で多くのアセットオーナーから数多くの貴重な気づきを頂いてきた。今般コンサルタントを卒業するに当たり、過去の記憶を辿りながら、アセットオーナーにどのような進歩があったかを振り返ってみたいと思う。なお、なるべく一般化して記述したつもりだが、あくまで私自身の視点・意見に基づき、かつ限られた論点しかカバーしていない点、何卒ご容赦いただければ幸いである。
論点を限ったつもりなのに少々長くなってしまったので、以下の4編に区切ってお届けしたい。


4. 社会の変容と資産運用

 最終回では、過去の進歩から離れて、一見つながりが見えづらい社会と資産運用の関係について私見を述べていきたい。社会における変化が、資産運用のヒントになるかもしれないと考えるためである。最初はESGの話、そして資産運用と政府債務・格差問題の関係、新政権がもたらすインフレと社会の分断・地政学リスクの関係について考察してみる

環境問題とESG運動

近年夏季における気温の上昇とその長期化を経験し、地球温暖化への取り組みの必要性は大多数の国民の間で共有されている。一方で、投資家の立場から社会的責任を後押ししようとするESGに対しては、かねてより賛否両論が尽きなかった。この価値観の源流は、社会問題を投資の力で解決しようとした2000年代前半の社会的責任投資(SRI)が最初だと認識している。SRIの唱道者は、十分な支持が集まらないと見るやサステナブル投資(SI)等に名前を変え、そのうちガバナンス向上を推進する運動と合流し、国連が提唱したESGという概念として定着するようになった。ESG推進派は社会問題の解決を最優先事項とするのに対し、一般的な投資家にとっては「リターン追求を第一目標とする自らの投資姿勢をどこまで変えられるか」ということが論点となり、おのずと抵抗感が生まれ易い構図にある。

両者が妥協し合えた一つの着地点が、アクティブ運用におけるESGインテグレーションである。すなわち、超過収益を得るためのESGの活用である。投資家が採用するアクティブ運用において、今ではESGを全く考慮しないものがないほどESGインテグレーションは幅広く受け入れられている。これによって、世の中のあらゆる企業がESGの観点から評価され、それが株価に反映されるようになり、投資家はESGを取り入れていると胸を張って言えるようになった。運用機関は軒並みESG専任担当を置くようになり、ESG評価関連の業界も成長するなど「三方良し」が実現した形となった。一方で、カーボンニュートラルの目標達成に向けての世の中の変化は未だビハインド状態にあり、引き続き運用機関からは、サステナブル投資やインパクト投資の紹介等がされている。しかし、米国におけるESGへの政治的逆風もあり、日本においては投資家側の熱量はとみに下がったように感じられる。ESGへの向き合い方は投資ホライズンや母体企業の方針によっても変わると思うが、投資家として自らの受託者責任の範囲を再考しつつ、環境・社会問題に対する自らの投資スタンスを定めることが重要であろう。

良好な運用結果の裏には政府債務拡大があり、格差問題につながる

2023年度末のGPIFの業務概況書で、運用資産額の246兆円のうち2001年以降の累積収益額が154兆円に達することが示された。また、多くの企業年金も同様に剰余状態 1にある。勿論、年金自身の進歩もあって現在の好結果に繋がっていると言えなくもないが、最大の要因はこの期間株式市場が好調だったからに他ならない。

経済学者のトマ・ピケティ氏が「21世紀の資本」という著書で、過去資本収益率(r)が経済成長率(g)よりも恒常的に高かったことを指摘した。これは、「資本主義は自動的に恣意的で持続不可能な格差を生み出す」という現社会システムに対するアンチテーゼであった。しかし、ピケティの指摘もむなしく、本の出版以降10年経過したが(r)と(g)の乖離には益々加速度がついており2 、格差は広がる一方である。

その大きな要因の一つとして、世界各国が実施してきた経済政策が背景にあることがしばしば指摘されている。やや雑駁な捉え方だが、図表5で示されるように、ほとんどの先進各国は、世界金融危機以降積極的な財政政策を実施してきており、その結果政府債務の水準は看過できないほど高水準となり、追加的な政策が難しくなりつつあった。そして、各国は金融政策に走り、その結果世界全体のマネー量も拡大することとなった(図表6)。これら政策は、労働者の賃金上昇につながる以上に資産価格を上昇させ、それが高所得者層との格差拡大に繋がった。格差拡大は社会不安という形で跳ね返ってくる。これについては後述する。長期投資家としては、短期的な資産価格上昇に目を奪われるのではなく、その背景となった債務やマネーの拡大が今後もたらす影響についても注視しておく必要がある。

図表5 先進各国の政府債務(ネットベース 対GDP比 単位:%)

データ出所:IMF World Economic Outlook 2024/4

図表6 先進国および世界の広義のマネー量(対GDP比 単位:%)

データ出所:World Bank Group Data

第1章で言及したIMFのグローバル金融スタビリティレポート(2024年10月)では、「世界経済はソフトランディングに向かい短期的にはリスクは低くなると見込まれるが、中期的には金融の脆弱性増加につながる恐れがある」と警鐘を鳴らしている。金融の脆弱性は、金融ショック発生時の下振れリスクを増幅し、またそのショックが国際金融や国際貿易を通じて他国に波及する可能性を高める。世界的に財政規律の回復が必要な状況だが、ピケティ氏の呼びかけが未実現なように、この実現も政治的に容易ではない。基本的には多くの先進国では財政上の脆弱性が高まっていると考えられ、トラス政権発足時の英国のように何かのきっかけでソブリンリスクの顕在化に見舞われることがあっても不思議ではない。

それでも、世界金融危機後に確立されてきたマクロ・ミクロに及ぶ数々の危機鎮静化策のお陰で、危機が起きても速やかに消し止められることが多く、世界的な信用不安や深刻な危機は発生しにくくなっている。政府や中央銀行の繊細な舵取りによって、微妙なバランスを維持しているわけである。ただ、人口動態や経済成長の逓減を鑑みると、拡大した債務やマネーのコントロールはより困難となり、一層の市場の不安定性に繋がりかねないことは理解しておく必要がある。

新政権がもたらし得るインフレと社会の分断・地政学リスクの関係

米国大統領選では、トランプ候補率いる共和党が大方の予想を超えた圧勝劇を見せた。大統領選だけでなく上院下院選でも共和党が勝利したことから見て、ハリス候補個人の問題というよりも現民主党政権の政策、特に経済運営に不満を持つ人が増えたことが大きな要因と考えられる。景気も悪くなく株価も順調だった一方で、パンデミックや高インフレが低・中所得者層の生活を困窮化させ、経済格差がさらに広がったと考えられる。ただし、有権者が選んだトランプ政権が掲げる公約は、民主党が掲げていたもの以上に国の財政状態を悪化させ3 、また関税引上げ等の政策は輸入物価上昇に直結するなど、結果としてよりインフレを招くとみられている。今回の選挙で一旦民意は共和党に軍配を上げたが、元々共和党は再分配政策には消極的であることも鑑みると、今後の4年間で更に経済格差が拡大する可能性も高い。そして、経済格差拡大に加え、敵味方を分けたがるトランプ氏の言動から想像するに、米国社会の分断が緩和されることは考えにくい。分断は激しい対立・階級闘争を招き、意見の相違を解決するシステムが機能しなくなると内戦に陥る可能性もある4 。内部対立が激しくなると、社会の機能は低下し国力が低下する。そして、覇権国の衰弱は国際秩序の不安定化につながる。欧州や中東の地政学リスクは収まる兆しが見えず、また米中の緊張関係は再び高まることが必至と見られている。レイ・ダリオ氏の考察によれば、1600年以降、オランダ→イギリス→アメリカと覇権国が変遷してきたが、それぞれの衰退期には「財政状況の悪化と対立」→「内戦・革命、ないし外部紛争」→「帝国の地位からの転落・通貨切下げ」という道筋を辿るとされる5 。勿論、米国および世界がこういった識者の指摘を受け止め、事態をコントロールし、現在の繫栄を長期間にわたって謳歌し続ける可能性も十分ある。しかし、国の興隆から衰退といった長期サイクルを理解した上で、現在起きていることはどこに位置づけられるのかを考えるという視点は、この後に発生する事態を予見する際に有用であると考える。

本来上記の様なリスクシナリオは想像もしたくないはずであるが、投資家はいかなる経済事象からも逃げられない。長期投資では分散投資の徹底が基本となるが、上記の様なリスクの兆しが見えそうであれば、より防衛的なポートフォリオへの移行、すなわち、第2章で述べた金(ゴールド)への投資や、もしくは下値リスク対策といった戦略が選択肢として考えられよう。常に思考を止めず、社会の変容の行く末を想像し判断する。長期投資家の考えるべきことは尽きないのである。

「アセットオーナー 過去40年の進歩」のテーマで、4回にわたりお届けしてきた。過去の経験から学びつつ、過去と同じにならない部分を想像力で埋めていく。アセットオーナーの仕事はそういうものだと考える。多くの投資家がたどってきた経験のほんの一部しか紹介できていないが、読者の皆さんの将来のための思考のきっかけになることを願っている。


1 「企業年金実態調査結果と解説(2022年度)」企業年金連合会 では、93.4%の確定給付企業年金が「純資産額/責任準備金」で見て剰余状態にあるとされている。
2 2014年~2024年9月でみると、世界全体のGDP伸び率は年率3%程度なのに対し、世界株式は10%(年率、ドルベース)程度と大きく上回っている。
3 米国連邦議会上下院の元議員らが超党派で構成する「責任ある連邦予算委員会(CRFB)」が発表した試算(2024年10月7日)
4 内戦研究の専門家であるバーバラ・F・ウォルター氏は、過去の内戦を分析すると、専制国家と民主国家の中間にあるアノクラシー状態にあり、かつ国の統治能力が弱体化すると内戦リスクが高まると指摘する。
5 長期サイクルを理解する(危機シリーズ完結編)参照。出所は「世界秩序の変化に対処するための原則」 レイ・ダリオ著 2023年9月、economicprinciples.org。